◎北海道開拓使の最後の仕事
明治2年、戊辰戦争も終焉を迎え、明治政府は北海道開拓を推進する目的で北海道開拓使という官庁を設置し、移民政策を進めます。
咸臨丸はそのための人と物資の輸送船としての任務に就きます。
咸臨丸の最後の仕事も旧仙台藩の片倉一族を輸送する仕事。
戊辰戦争で敗れた藩士は蝦夷の地に新天地を求めるしかなかったのです。
投稿 米川
ペリー提督は約束通り、次の年の2月に再び浦賀に現われた。約束の4月か5月より早く。
他の諸国に抜け駆けされれば、元も子もないという心理が働いたのだろう、1回目の来航のあとすぐにロシアが来ている事はペリーの耳には入っていた筈。
2度目の来航は新たに蒸気外車船『ポーハタン』や帆走軍艦を加え全部で9隻の大艦隊でやって来た。 投稿 米川