◎サンフランシスコ散策
ポーハタン号も去り、ブルックさんも帰郷し、メア・アイランドは平穏な日々に戻ったようです。
皆は時間が空いている時はサンフランシスコまで行き、買い物を楽しんでいる様子。
ある日、福沢さんは中浜万次郎と一緒に書店を訪ね、万次郎の薦めるウェブスターの辞書を買った。
投稿 米川
後に『これが日本にウェブストルと云う字引の輸入の第一番じゃ』と自慢となる逸品。
他に中国の商人から『華英通語』という英語の言葉を漢字で発音と訳を併記した辞書も購入し、これらが福沢さんの英語の勉強と教育のための武器となるんですね。
また、ある日福沢さんはぶらっとサンフランシスコの写真館をたずね その写真屋さんの娘さんと一緒に写真を撮っているんですね。
その当時、日本には既に写真機は入っていたんですが、まだ写真館というものは どこにも開業されておらず一般にはまだまだ物珍しい存在で、福沢さん以外にも 何名かは、その写真館をたずね、記念にと写真を撮っている。
料金は2ドルだったらしく、1時間ほど待てば仕上がっていい記念品としてもって帰れたようですね。
(当時の2ドルがどれくらいの価値かが分かりませんが)
ただ、福沢さんはアメリカ女性と一緒に写真に収まったというのが、自慢であったらしく、帰国の途に着いた時、船の中で若い士官たちに自慢そうに見せていたということです。
◎はたしてアメリカの食事は口に合ったのか?
咸臨丸やポーハタン号でアメリカにやってきた日本人たちは歓迎会等で出された数々の西洋料理は自分達の口に合ったのか気になるところでありますね。
特にワシントンまで行った使節団の正使達は船上での食事は日本から持ってきた醤油や味噌等の調味料はあるので、それなりの味付けは出来るのですが、陸上での移動や各都市を訪問した時は出される食事がすべてであり、好き嫌いの好みを挟む余地が無いので、それらを食するしか無いんですね。
サンフランシスコでの最初の晩餐会の食事についてある者が詳細に残しています。
・ 乾蒸餅(乾いたパンのこと)
・ 氷水(パンと氷水は初めからテーブルの上に用意されている)
・ 吸物(白い大皿に入っている、味が甘くて臭い、材料解らず)
・ 鮭(餡掛け、油臭い)
・ 牛(塩煮で葛粉が掛けてある、油臭いが食べるに足りる)
・ 豚(じゃが芋に小麦粉を摘み入れたものを加えてあるが油臭い)
・ 小芋(むかごの事、皮を剥いて塩で煮てある)
・ 菜ひたし(これも塩だけで旨くない)
・ 飯(わが国のものと変わらず)
・ 蒸餅・饅頭(中に餡が入っていて味は酸っぱい、ブドウから作ったという)
いずれも大皿に盛り、フヲーク(さじに似て四本胯の裂けたるものなり)、ナイフ(小包丁なり)、スプウン(食さじ)を人数に応じてテーブル上に並べ、食せんとする時、是三品を用い、箸を用えずとある。
この詳細を記録した者の感想として『戸惑うのは最初のうちで、その味に慣れさえすればどうという事はない。
外国に来て飲食に苦労するのは井の中の蛙のことでそれでは、少しの進歩も期待できない』と結構強気の感想なんですが、これが続くとさすがの進歩的考えの持ち主も、体が欲するものには勝てないようで、後の記述には、こう書かれている。
『いずれも塩淡くして食するには能わず(あたわず)調味料も皆、わが国の味に非ず皆困り果てている』と本音が出てしまうようです。
最初から全く洋食お手上げ組もたくさんいたようで、別のものはこう言う。
『誠に料理、美を尽くし、この地には大馳走と言えども、我が日本人のためには塩気もなく、油の香りありて食すること能わず、されども空腹に堪えかねし故何れも少し食するなり』
また、別の者も『最初、吸物の如き物大皿にて盛りだす、鮭のあんかけの如きものその外、種々差し出すと言えども食する事不能、パンに砂糖を付け食し、只飢えを凌ぐのみ』
腹が減ってるのに、目の前に出された料理が全く口に合わず、食べられないという ただ飢えを凌ぐためだけに口に入れるという、誠に気の毒な状態。
その点、咸臨丸の一行は通常はメア・アイランドの宿舎で自炊なので、材料が揃うかどうかは別にして調味料等は日本から持参してきたので、自分たちの口にあう満足に近い食事を摂ることが出来、結構楽しんでいる様子。
ある日、福沢さんは頂いた鮫の身を天ぷらにしようと、揚げていたら、鍋が倒れて大きな火が上がった失敗をしている。
石造りの建物だったので火事には至らなかったが、日本の家屋だったら、大火事になっていただろうと、書いている。
一方、遣米使節団の一行はサンフランシスコ以降、各都市訪問の際は、先方なりホテルで出された食事が全てなので、こういう状態が続くと、精神的にも悪いんですね。
使節団の副使の村垣さんはフィラデルフィアでの食事のことを、日誌にこう残している。
『その日は汽車での移動中にパンを食べただけなのでひどい空腹を覚えていた。
ホテルに着いて、出てきた料理を観て、一同から非難の声が上がった。
出されたものは、これまた口に合わない肉料理とご飯、でも御飯さえあればと思って手に取ると、ボウトル(バター)をいれたるものにして、いかに空腹なれど食することならず。
通訳を介して米飯は良いがボウトル入はノーと申し出ると、今度は砂糖をまぶした御飯が出てきた。いやはや異国の食事には全く苦労する』と嘆いている。
食事の合わない理由は一つには、当時の日本人は牛や豚、鶏などの肉類は殆ど食べていなかったなのに、メインの料理は食べ慣れない肉料理、肉独特の臭みには慣れなかったのでしょう。
2つ目はやはり、味付け。味噌や醤油の味付けが体に染み込んでいる日本人が塩味のみで、それも薄味とくれば美味しいと思うには程遠いものだったのでしょう。
日本人は魚が好きだということで煮魚を出してはくれるが、味付けが薄塩だけでは確かに食べたくなくなるのは分かりますねえ。
3つ目は油の臭い、特にボウトルと呼んだ『バター』、どれもこれも、この臭いもうウンザリという感じです『すべてボウトルの香り有りて食しかねしに』と嘆く。
使節団の帰国の途は先にも書いたナイアガラ号での長旅であったが、途中味噌も醤油も、底をつき無い無いづくしの中で、命を繋げるのみの食事が続き顔を合わせば、早く日本へ戻って、味噌汁と漬物で御飯を食べたいものだと語り合うばかりであったという。
これで日本に帰れるとなると、寝ても覚めても頭をよぎるのは飯のことばかり わかるような気がしますねえ。
出典元
咸臨丸海を渡る 著者:土井良三 発行:㈱未來社
咸臨丸、大海をゆく 著者:橋本 進 発行:海文堂出版㈱
咸臨丸難航図を描いた幕府海軍士官 著者:粟宮一樹 発行:㈱文芸社
拙者は食えん!サムライ洋食事始め 著者:熊田忠雄 発行:㈱新潮社