◎木造から鉄製へ
鉄は18世紀末にイギリスで大量生産する方法が開発され、色んな構造物に使用される事になり、 有名なものではパリのエッフェル塔、1889年のパリ万博時に仰天の塔が建てられた。
当然、船にも使用することが考えられた。 鉄は木よりも強い、座礁や衝突時に沈没する危険が少ない。 投稿 米川
鉄は工業製品なので材料供給の不安が少ない。確かに帆船を作るには大量の大きな木が必要となるため調達が大変。 なんと言っても、燃えない。火災のリスクが小さいというのは極めて喜ばしい事。
でも反面、磁気コンパスが狂うとか船底に余計なものが付着したり腐食したりと いい事ばかりではない。磁気コンパスの問題はその後イギリスで解決策が見出されたが
船底の問題は木造船のように銅板を貼るわけにはいかず(銅と鉄の電蝕作用で腐食するため)1860年台に塗料が開発されるまで待たねばならなかった。
はじめての鉄製の軍艦は1840年英国海軍が建造したネメシスという船らしく、アヘン戦争に参加した外車船との事。
鉄の船は強いのは良いが、攻撃を受け損傷した場合、その強さが裏目に出て砲弾で撃ち抜かれた穴は修復が困難となり、打ち砕かれ飛び散った細かい鉄片は人的に大きな被害を及ぼす。
なるほど!
そんな訳で英国海軍は鉄製の船は軍艦には適さないという大胆な結論に至ったということです。こういう事を通り抜けて来たんですね。
米国の黒船もオランダ製の咸臨丸も船体は真っ黒で一見鉄製にみえるが、木製なんです。
時代的には鉄製でもおかしくはないんですが、まあ技術革新というのはどの世界でも 一筋縄ではいかないという事ですね。
◎外車船からプロペラスクリュー船へ
船に蒸気エンジンを搭載した時、推進力を得る方法を水車と考えるのは、ごく自然な発想かと思いますね。
それで船の両側に水車を備えた外車船と呼ばれる船が1807年にハドソン川で商業船として就航し、その後大型の軍艦も作られるようになり、最大級の外車船としては日本に来た黒船のサスケハナやポーハタンで外車の直径は10mもあったということです。
ただ軍艦としての外車船は問題もかかえており、絶賛するものではなかったらしい。
軍艦なので大砲を両側に配置したいが船の真ん中に鎮座した水車が非常に邪魔となる
水車の位置からして、それを駆動するエンジンは水面上の船のど真ん中、そうなるとこれは恰好の攻撃目標、軍艦としては致命的。
一方スクリューのプロペラも早くから考えられており1840年代半ばに英国海軍のラトラーという軍艦でプロペラの開発テストが行われ、2翼のプロペラが成績が良かったということです。
そんな訳なのか 咸臨丸のプロペラも2翼ですね。
スクリュー船の開発で難しかったのは駆動のシャフトが船体を貫通しているため海水の
漏洩をどうして止めるのかという事に苦心したらしい。確かに!
1850年代に英国でシャフトの軸受にリグナムバイタという木材を使い、この問題を克服したん
です。この木は非常に多くの油分を含んでいる硬い木でそれまでの黄銅の軸受より摩耗が
少なく、漏洩問題を解決したということです。20世紀半ばまでこの方式だったというから
すごいですね。
面白いのは、1845年に英国海軍が外車船とスクリュー船で綱引きの実験をしているんです。
推進装置以外はほぼ同じ姉妹船。スクリュー船は先述のラトラー、外車船はアレクト、両艦の船尾をロープで結び、さあ、どちらが勝つか前代未聞のイベント。どれくらいの見物客が集まったかはわからないが、結構盛り上がったらしい。
最初、ラトラーが機関を停止し、アレクトが前進開始。2ノットでラトラーを曳航、その状態でスクリュー船のラトラー、エンジン全開、5分後ラトラーは引きずられていた状態から前進に!
潮目が変わった! この時見物客から拍手が湧いたかどうかは知らないが、暫くしてラトラーは2.8ノットの速度でアレクトを曳航したという。
このイベントでプロペラスクリューが優れているって事が証明されたが 元綱先生の「幕末の蒸気船物語」によるとラトラーもアレクトも公称馬力は200馬力で一見、公正なように見えるが公称馬力は蒸気圧を一定に固定した場合の計算式で算出した値で、あくまで公称であって実際は蒸気圧は変化するので最大馬力は異なり、ラトラーは360馬力、アレクトは280馬力でラトラーが勝つことは当事者には最初から解っていたとのこと。
スクリュー船の優位性を見せつけるためのデモンストレーションであったと思われると書かれている。
まあ、どの世界にも、こう云う事はありますわねぇ。
出典書籍
幕末の蒸気船物語 著者:元綱 数道 発行:㈱成山堂書店船の科学館 資料ガイド7 発行(財)日本海事科学振興財団 船の科学館