私なんかは中途半端な知識で「幕末の頃、勝海舟が艦長として乗り込み日本人として初めて太平洋を横断しアメリカと平和条約を結んできた船」という風に覚えていたんです。 船の科学館資料 咸臨丸の表紙より
投稿 米川
これって、大きな間違いがいくつもあるんですが、なぜこんな間違った知識が頭に入って どこが間違っていたのかも含めて咸臨丸について一つ一つ探って行きたいと思います。
まず、咸臨丸の咸臨ってどういう意味?
この言葉は中国の古典から引用した言葉らしく「主君も家臣も互いに仲良く協力し合う」という意味らしく、なるほど幕末のこの時代を反映した名前ですね。
◎船の大きさ
その船体の大きさ、寸法ですが、これがまた不思議な事に長い間解ってなかったらしい。この船は日本で作った船ではなく(江戸幕府 大型船建造の禁止令を出したため、造船の技術が育たなかった)
そのころ唯一取引をしていた、オランダに依頼して作ってもらった船なんです。普通に考えたら納品の時(納船か)図面も一緒に受け取るって思うんですけど、どうもそうではなかったらしくその後の色んな書物に大きさが書いてはいるみたいですが、信憑性が低いというか 信用できない数値ばかりみたいです。
100年以上経った1970年頃、オランダのロッテルダムの海事博物館で咸臨丸の図面が9枚発見され、ようやくこの船の全貌が見えてきたという事らしくて、こんな有名な船がそうやったんかと驚きです。
全長 48.8m
垂線間長 41.0m
全幅 8.74m 深さ 5.6m(竜骨下面から上甲板まで) 平均喫水 3,125m
◎排水量
これも同じく長い間、諸説飛び交い、勝海舟自身がまとめた「日本近世造船史」という書物にも排水量の欄は空欄になっているらしく、自身も解ってなかっという事かと、びっくりするというか、不思議だなあと思ってしまう。
その後、「幕末軍艦咸臨丸」という書物が出版され、その本も排水量の欄は空欄だった。
らしいが、その注記に「噸数については163,250,292,472の諸説ありて明確ならざれども 姉妹艦朝陽丸排水量300噸の記録あれば大概其見当なるべし」との記述があって この時から排水量は300トンというのが通説なって、300と云う数字が独り歩きしたらしい。
【船の科学館資料ガイド7より 側面イラスト 作画:西村慶明】
1969年に青山学院大学の名誉教授であられた片桐先生が咸臨丸が長崎に入港した折 長崎奉行所に提出した書類の中から「船の大きさ625噸」と記載された文章を発見された。またその頃発見された先述の図面から計算してみると600〜650トンと云う数字が 算出され記述と図面が一致したということです。
それからは625トンというのが咸臨丸の排水量ということになったらしいです。それまでの定説と倍ほど違うとはどういう事なのかと思ってしまう、排水量というのは船の大きさを表す一つの指標だと思っているので、こんなに違うことってあるのかと思う。
解っているようで、わからない話ってあるんですね。次号はもう少し細かい船の構造に迫ってみたいと思ってます。
引用させていただいた書籍
船の科学館 資料ガイド7 発行:(財)日本海事科学振興財 団 船の科学館
幕末の蒸気船物語 著者:元綱 数道 発行:㈱成山堂書店