例会で出た素朴な疑問にお答えする帆船についての豆知識のコーナーです。
昨年7月ぶりです。
今回は、ビレイピンって18世紀に入ってから?
17世紀初頭の大型ガレオンのクローンを製作中の福田会員からの質問です。
ベテランの先輩諸氏から「ビレイピンは18世紀の発明やで」と指摘されることがあります。
ではどうやって索をとめるの?素朴な疑問です。
最初に文献を調べてみましょう。モデラー必須とまで言われるHistoric-Ship-Modelsの160ページに記載があります。
1660年まではクロス・ピースにビレイピンは付きません。その後ビレイピンが付き名前もフィッフ・レイルに変わったと。18世紀前半にはデッキ部に滑車が着くようになっとようです。
他の文献もみてみましょう。
The Construction and Fitting of the English Man of War: 1650-1850
219ページに次の記載があります。
ビレイピンが出現するのは1660年以降、モデルメーカーはもっと注意すべきだと。スタッグホーン、ビット、ティンバーヘッド、クリート、ケベル、リングボルトなどが使われていましたようです。
ship of the Line Vol.2の106ページに次の記載があります。
ブレースやシートはマストのまわりのビットかスタッグホーンとケベルにとめられていた。
タックはブルワークの内側に止められていた。
その他は、クリート、ブルワークの内側シュラウドのラニヤードなどいろんなところに止められた。
フォアキャッスルのティンバーヘッドに止められた
18世紀の終わり頃、ビレイピンラックが使われ始めた。
113ページには、1660年頃からナイトにクロスバーが付き、マストの後ろのナイトはビレイピンのついたクロスバーに置き換えられた。しかしミズンマストは17世紀中はビットは付かないとあります。
SAILING SHIPS OF WAR 1400 1860
の56ページにティンバーヘッドだけでは足りないので16世紀末にはビレイピンが恐らく使われていただろう
それ以前には無いとして・・・
The Rigging of Ships: in the Days of the Spritsail Topmast, 1600-1720の78ページに1660年頃にマストの後ろの2つのビットがクロスピースで繋がって、そこにビレイピンが置かれたとあります。動索の止め方はクリート、ケベル、ビレイピンがありクリートはブルワークやマスト、ステイやシュラウドにも付けられた。ケベルはシートやブレースなど重荷の索に使われ、ビレイピンは軽い索に使われた。
以上から1660まではマスト周囲はナイトヘッドが使われ、クロスピースにビレイピンがならぶピンレールはないことが分かります。
ただ、どう考えてもナイトヘッドやクリート、ケベル、リングボルトでは足りず舷側につくピンレールがいるような気がします。どうなのでしょうか?
フランスのクローンのライバルは、
英国のソブリン・オブ・ザシーズ、
スウェーデンのVASAとなります。
VASAは実物が博物館展示されています。
写真を見ると船首のビークヘッドに2列ピンレールがあります。各列6本ピンが立っています。両側にもビレイピンが立っています。
メインとミズンの間の両サイドとピン・レールがあります。
フォアのキャプスタンの横に6本が立つピン・レールがあります。
Sovereign of the Seas 1637: A Reconstruction of the Most Powerful Warship of Its Day
図面をみると船尾のハーフデッキとプープデッキにピン・レールがあります。
また船首のヘッドにも1列ピン・レールがあります。
1651年のVOC(東インド会社:Vereenighde Oost Indische Compagnie)の商船
プリンスウイレムの模型がオランダの海事博物館にあります。
メインマストの両サイドに6,7本ピンのたったピンレールがあります。
ところが、アナトミー スーザン・コンスタント1605年
The Colonial Merchantman Susan Constant 1605 (Anatomy of the Ship)を見るとビークヘッドとフォア・マストの後ろにranges(棚)とよばれる8本のピンが付いた
ピンレールがあります。
また説明として、レールに巻き付けた記述があり挿絵もあります。あの有名なブライアン レイヴァリ の著作だけに無視できません。
同じく、アナトミーシリーズのコロンブスの船のP106のカラベル船のピンタの図面にPinRack:ピンラックとしてメインマストの真後ろに8つのピンのビンレイルがある図が1枚だけありますが、これはレプリカのためでしょう。
まとめますと、
1660年以前は、マスト周囲りのピンレールではなくナイトヘッドがつく。
1660年以前は、ケベルやクリート、スタッグホーン、リングボルトを使いますがピンレールが無いわけではないが基本レールに索を巻く。
ピンレールが付いたのは16世紀末なので
それ以前は基本的にピンレールは付かない。ティンバーヘッドへの直巻きとレールに索を巻くということになりそうです。
余談ですが、文献によれば、「索の止め方は当時は非常にポピュラーで、誰もが知っていた。」考えれば当然で、船員は、どの船でも操船できる必要があり当然索の止め方は決まっていた。
ところが、あまりに当たり前のため何ら文献が残っていない。
今になると索の止め方は今ひとつハッキリしないらしです。
今回はここまでです。(^o^)/
11月の例会では時間があれば大砲の変遷を講義予定です!(^^)!