【コラム】咸臨丸の夢㉕最終回  歪曲された咸臨丸の歴史

◎遣米使節団って知ってますか?

SCAN0005 - Resized少し以前の小生なら、この表題の様な質問を受けたなら、きっと『はい、勝海舟がリーダーとして咸臨丸に乗って、日本人初の太平洋を横断し、アメリカに渡って条約を交わしてきた一行です』と答えていたでしょう。

でも『咸臨丸の夢』を書き終えようとしている今、大きな間違いであったと、恥かしい思いです。

投稿 米川

なぜ、そんな間違いを犯してしまったのか。そのへんの事情を語る前に、今一度咸臨丸の太平洋航海と渡米について考えてみたいのですが。

多くの記述に咸臨丸はポーハタン号の伴走船としてとか、護衛船とかの理由で太平洋を渡ったとあるのですが、一度だって一緒に併走して航海したことがないんですよね。

また、木村摂津守を副使として乗せ、万一の場合も使節団としての役割を果たせるようにとの理由である事も、咸臨丸渡米の理由。

もしそうだとすれば、木村さんはサンフランシスコからポーハタン号に乗り換えるべきだが、そうはしていない。本人はワシントンに行きたいと思っていたようであるが、勝さんら乗組員に『あなたが居ないと』と説得され、断念したとあるのですが、本来そう決まっていたなら、幕府の指示に従わないなんて、あり得ない。

事実、サンフランシスコでポーハタン号の新見正史や村垣副使から木村さんに対して、その件についての要請がない。

咸臨丸は外洋の航海練習としての目的だけでは幕府の承認を得られないので色々と肉付けしたんだと理解するのが素直な見方でしょうね。

それでも、サンフランシスコで日本の武士が偉く歓迎され、友好関係を築いて帰ってきたというのは大きな功績であることには違いない事。

経験したことのない荒海を渡り、見たこともないアメリカで交流を重ね、また数々の近代文明への研鑽を深め、その後の日本に与えた功績は多大であると思うのですがしからば、咸臨丸の功績者は誰かというと、申し訳ないが勝海舟さんでは無いですね。

もっと、讃えられていいのはジョン・マーサー・ブルック大尉であり、木村摂津守ではなかったのか。

ブルックさんに関しては、あの荒波を操船してくれた功績もさることながら、サンフランシスコで自身の人脈を最大限に屈指して、無届の入港を日本の公式訪問のレベルまで押し上げてくれ、数々の友好関係のお膳立てをしながらも裏方に徹した畏敬の念すら抱かせる人物。

正直、この人が居なかったら、サンフランシスコで物資だけ積み込み、そのまま帰ってくるという、練習航海だけの渡米になっていたかもしれない。

そして、海の向こうで、その歓迎を堂々とした日本の武士として受け、尊敬の念すら抱かせた、木村摂津守。

咸臨丸の見学会では男子のみ許される乗船、何とか一目でも見たいというご婦人が男装して乗船したと云う。木村さんは変な素振り一つせず、案内し下船の時にありがとうございましたとそのご婦人に『かんざし』を記念品としてそっと手渡したとあります。

こういう事ができる人が当時の日本におられたんですね。

福沢諭吉は生涯友として木村さんを敬愛したとありますが、分かりますね。

咸臨丸というと勝海舟となっているのが一般的な書き方であり、言わば常識みたいになっているんですが、咸臨丸に関して言えば、勝さんの貢献度は薄いですよね。航海中は酔っぱらって寝てばかりで、また、ふてくされた態度で皆を困らせる事もしばしばで、とてもリーダーとしての品格に疑問を持たざるを得ない行動でしかなかったですから。


◎郵政省が間違えた

咸臨丸切手右の切手は日米修好通商条約締結百年を記念して1960年に発行された記念切手なんですが、絵柄の船は咸臨丸なんです。

この絵は咸臨丸の士官鈴藤勇次郎が敬愛する木村さんに贈った咸臨丸難航図という、有名な絵なんです。

これを見れば通商条約締結でアメリカに渡ったのは咸臨丸と言う事になってしまうんです。

咸臨丸には遣米使節団の誰一人も乗ってないんです。

明らかな間違い、それも事もあろうに、国の中央省庁である郵政省がですよ。


◎NHKも間違えた

2019年に放映された大河ドラマ『いだてん』で、放送事故とも言えるような間違いをしてしまったんです。

ドラマの中で役所広司演じる加納治五郎が金栗四三に語りかけるシーンでのこのセリフ。

使節団『かの勝海舟先生が日米修好通商条約を結ぶに際しアメリカに渡った時、日本人の使者はちょんまげに羽織袴、腰には刀を差していた。そりゃ、山猿と笑われただろう。

たかが、50年前の話だよ・・・』

こんなセリフを言わせて、その後の画面で右の写真を出し、『日米修好通商遣米使節団』と書いたテロップが重なった。

かの、NHKがですよ。

勝海舟はワシントンには行ってないんですよ。当然この写真には写ってないでも、間違った。

誰も気づかないで放送してしまった。何でですかね。

今回、この『咸臨丸の夢』という文章を書くにあたって、色々と調べてみると、この類の間違いがいかに多いかに驚かされたんです。

・咸臨丸は日米修好通商条約の批准のために、太平洋を初めて横断しアメリカに渡った幕府の軍艦である

・勝海舟が咸臨丸に乗って日米の条約を締結してきた

・福沢諭吉は通商条約の遣米使節団にも加わった

歴史の事実がこんな風に当たり前みたいに間違っている。歴史といっても遣隋使や遣唐使の話ではなく、ついこの間の話。

その子孫の方にたどり着くことが難しくない、たったこれだけの時間の中で何故、こんなにも間違った歴史になってしまったのか。

小生の記憶も多分、何処かで、間違った記述を読んで頭に入れてしまったんだと思います。


◎間違った歴史の元凶は教科書にあった

どうもこの辺りは、学校教育の教科書にあったらしく大正7年の修身の教科書に勝海舟と咸臨丸の話がかなり誇張された話として掲載し、その内容が勝海舟と日米修好条約の遣米使節団と咸臨丸を結び付け日本人初の太平洋横断の快挙を成し遂げたという、話に仕立て上げ、勝海舟を褒めたたえたというのが、誤解を生む話の発端らしいんです。

修身とはいわゆる道徳教育であり戦前の国家主義教育の中核をなすものであって教育勅語と並び国民教育の基本とされたものなんです。

つまり、勝海舟という人は苦労して勉学に励み、後世に語り継がれる立派な人になり、咸臨丸を指揮して日本人初の太平洋横断に挑戦した勇気ある人なんです。

と当時の子供。たちに勉強の大切さと勇気をもって行動することを勝海舟を通して教えたかったみたいですね。

忠義を讃えた『忠犬ハチ公』の話と同じ構図ですね。

なぜ、勝海舟なのか、なぜ、福沢諭吉や木村摂津守ではないのか

たぶん、福沢さんや木村さんは生まれが良すぎたんでしょうね。

勝さんは貧乏旗本の家に生まれ、養子に出された人ですから、話としては共感が得られたんでしょう。

ただ困るのは、この修身の話が、戦後の歴史の教科書に引き継がれた形となり修好通商条約と咸臨丸と勝海舟の話がごっちゃになってしまって、誤解を生む素になったんですね。

歴史はその事実を明確に伝えるというのが基本で、見方によってその解釈が変わることはあっても、無かったことをまるで有ったかのように事実を変えてしまっては歴史じゃなくなりますからねえ。

教育の問題が後々まで尾を引くことになってしまって残念としか言いようがないです。


◎咸臨丸よ!

咸臨丸はオランダでヤーパン号として生まれ、多くの期待を背負って日本にやってきて咸臨丸となり、日本海軍の創設のために練習船として懸命に働き、冬の太平洋の荒海を乗り越えアメリカまで渡り、スポットライトが当たって、かの地では一躍脚光を浴びたが、その後は日本の政変に巻き込まれ、息も絶え絶えになりながらも働き、北の海で座礁したのを最後に歴史から消えてしまった。

彼女はカッテンディーケと共にはるか極東の国、日本に想いをめぐらせてやって来た。その夢はその生涯を通じて、何度も揺らいだ事だろう、最後はどんな夢を見ながら消えていったのだろうか。


◎あとがきにあたって

咸臨丸の模型を製作するにあたって、その船のことを知りたいとの思いで、調べてみようと思ったのが当初の思いでしたが、一隻の船に絡む歴史の重厚さに圧倒されながらも、自己満足ではありますが一つにまとめる事が出来ました。

最後まで、読んでいただいた方にお礼申し上げます。

なるべく平易な言葉でわかりやすくを心掛けたつもりでしたが、その分軽薄な文章表現になったところも多々あり、その点は素人が書いたものとして大目に見ていただければと思います。

また、この連載を通じて素敵なイラストを提供して頂いた細川様、本会の会員でも無く、会員の知人と言うだけで引きずり込まれ、最後までお付き合いいただき おかげで、つまらぬ文章でも楽しいコラムとして連載できました事、この紙面をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

さあ、これから『咸臨丸』の制作だ!

彼女の夢に想いを馳せながら、立派な船になるように頑張ろう。

2020年8月吉日


出典元

船の科学館 資料ガイド7『咸臨丸』、 ガイド4『黒船来航』発行:㈶日本海事科学振興財団 船の科学館

幕末の蒸気船物語   著者:元綱 数道 発行:㈱成山堂書店

咸臨丸大海をゆく   著者:橋本 進  発行:海文堂出版㈱

海軍創設史      著者:篠原 宏 発行:㈱リブロポート

ペリー艦隊大航海記  著者:大江 志乃夫 発行:立風書房

長崎海軍伝習所    著者:藤井 哲博  発行:中公新書

咸臨丸 栄光と悲劇の5000日    著者:合田一道     発行:北海道新聞社

咸臨丸難航図を描いた幕府海軍士官    著者:粟宮一樹    発行:㈱文芸社

幕末軍艦咸臨丸    著者:文倉平次郎  発行:巌松堂

拙者は食えん! サムライ洋食事始   著者:熊田 忠雄  発行:㈱新潮社

週刊マンガ日本史34 勝海舟 咸臨丸、太平洋を渡る     著者:安彦 良和  発行:朝日新聞出版

明治維新の正体  著者:鈴木壮一 発行:㈱毎日ワンズ

週刊ビジュアル日本の歴史【49 黒船来航】【50 徳川幕府の衰退】 発行:㈱ディアゴスティーニ・ジャパン

【TV番組】

NHK地デジ番組  歴史秘話ヒストリア『日本人ペリーと闘う・165年前の日米交渉』  2019年5月22日放送

【WEB.SITE】

・木古内観光協会HP

・WEB 歴史街道 万延元年遣米使節団〜アメリカ人を驚かせたサムライ達

・咸臨丸神話

・咸臨丸病の日本人

・Wikipedia 『万延元年遣米使節』                               『ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ』